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2話 彼の警戒心と、彼女の突然の変貌

作者: みみっく
last update 最終更新日: 2025-09-04 02:17:19

「ユイトくん……上で、何してたの? 上から下りて来たよね……?」

 不安げに潤んでいた瞳は、いつの間にか元の愛らしい光を宿していた。ミカは、口元に手を当て、にこっと微笑みながらユイトに尋ねる。

 その声は、まるで猫が喉を鳴らすような甘く柔らかな響きを持っていた。

 普段、俺が何をしていようが気にかけないのに、なんだこんな時だけ? 自分でも分からないっての。

 ユイトは警戒心を抱きながらも、その笑顔の裏に隠された意図を探る。

 しかし、彼女の表情からは何も読み取れない。ただ純粋に心配しているようにしか見えない。それが余計に恐ろしかった。

「あぁー、別に? なんか、一人になりたくてさ。なんとなく……かな。上でボーっとしてただけだよ」

 嘘はついていない。彼はそう心の中で呟いた。

 ミカは彼の答えを聞くと、再びニコッと笑顔を向けてくる。その笑顔は、まるで完璧に計算された仮面のようだ。そこに本物の感情が宿っているようには思えない。

 彼女の白い指が、スカートの裾を弄るようにそっとつまむ。その仕草は、まるで緊張しているように見えたが、ユイトにはそれが、彼女の次の行動を模索している、悪意に満ちた前兆に思えてならなかった。何を企んでいるんだか、まるで見当もつかなかった。

「ユイトくん、ちょっと付き合ってよ。私も……ボーっとしたい気分なんだぁ。ね? 私一人じゃ……危ないじゃない? 人がいない場所で、女の子一人じゃさ……」

 彼女は、潤んだ瞳を上目遣いに向け、悲劇のヒロインを演じるように、か細い声を震わせた。

 その言葉とは裏腹に、ユイトには思いっきり何かを企んでいる匂いが、プンプンと鼻をつくように感じられた。

 そもそも、こいつの言うことに付き合ってやる義理はない。関わりたくないし、巻き込まれたくもなかった。

「……だったら、他の場所にすれば良いんじゃないのか?」

 彼は、素っ気なくそう言って、その場を立ち去ろうと身を翻す。しかし、その肩に、まるで小鳥が止まるように、彼女の華奢な手がそっと触れた。

 ユイトの肩に置かれたミカの指先が、微かに震えている。

「え? 私が誘ってるのに、そんな態度……? ちょっとショックかも……ユイトくん……筆記用具忘れた時にさ、私……勇気を出して貸してあげたことあるよねぇ?」

 その声は、泣き出しそうなほどに甘く、哀愁を帯びていた。

 しかし、その言葉に、ユイトの足はぴたりと止まる。

 ……あ、関わりがあったわ。

 そういえば、中間試験の時だったか。シャーペンを忘れたユイトに、ミカが予備のシャーペンを差し出してきたことがあった。

 普段から関わりたくないと思っていた相手からの好意に、どう返すべきか戸惑い、結局「悪いな」とだけ言って受け取った記憶がある。

 小さな、取るに足らない借りだった。だが、彼女はそれを決して忘れていなかった。

 彼女の白い指が、彼の肩を、まるで獲物を掴むかのように、じわりと握りしめる。

 はぁ……はいはい、付き合いますよ。

 ユイトは諦めにも似たため息をついた。

 彼女の計算された「恩」に、まんまと乗せられてしまった。

 ユイトの返事を聞くと、ミカは満面の笑みを浮かべ、彼の手を、絡めるようにそっと握りしめた。

 その感触は、柔らかく、温かかったが、ユイトには、まるで蜘蛛の糸に捕らえられたかのような、嫌な感触に思えた。

 ユイトは、来た道をミカを連れて引き返した。

 なんだか、ここは不思議な空間だ。歩を進めるたびに、物音や他の生徒の声が遠ざかっていく。まるで、この階だけが、世界の喧騒から切り離されたかのような静寂に包まれていた。

 階段の踊り場まで戻ると、屋上の頑丈な扉の金網の入ったガラスから、幻想的な光が差し込んでいた。それは、まるでステンドグラスを通した光のように、床にカラフルな光の粒を散りばめ、あたりをやけに明るく感じさせた。

「わぁ……初めて来たけど、良いところね。ユイトくんと来たからかなぁ……」

 ミカは、わざとらしく目を輝かせ、愛らしい声で呟く。その言葉を聞いたユイトは、内心で舌打ちをした。

 彼女の言葉一つ一つが、ユイトの神経を逆撫でする。彼女の笑顔の裏に隠された計算高さを知っているからこそ、その甘い言葉は、彼の耳には毒のように響いた。

 褒められて喜んで反応すれば、彼女は獲物を見つけたかのようにグイグイと距離を詰めてくるだろう。そして、用が済めば、まるでゴミのようにポイっと捨てられる。これまでの経験から、その結末は火を見るより明らかだった。

 こいつの可愛さと言動に騙されるやつは多い。この甘い罠に、まんまと引っかかってはいけない。

 ユイトは、感情のこもらない無表情を貫き、ただ黙ってその場に立ち尽くしていた。彼女の計算された言葉を、決してまともに受け取ろうとはしなかった。

「はぁ……疲れたぁ。笑顔を作るのも疲れるんだよ……」

 ミカは、それまでの愛らしい表情を消し、まるで糸の切れた人形のように、ふうっと深いため息を漏らした。その顔には、先ほどまでの愛想の良さは微塵もなく、ただ純粋な疲労と倦怠感が張り付いていた。

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